伝統を守り続ける千古不易なお菓子、うなぎパイの魅力が溢れる‟うなぎパイファクトリー”~素敵なシーンウォッチング120
子供の頃、大好きだったお菓子があります。今は亡きロッテ・コーヒーガムです。コーヒーガムは、1963年~1990年までロッテから販売されていたコーヒー味のガムで、香ばしいコーヒーテイストのガムは、噛めば噛むほどコーヒーのおいしさを感じることが出来る、コーヒーが飲めない子供にも人気のガムでしたがいつのまに市場から消えていました。
当時は大人気だったとしてもお菓子の流行の展開は早く、最新のお菓子がすぐに出てくる反面、子供の頃から味わい、大人になっても食べ続けていた懐かしい味のお菓子が、販売減少などを理由に惜しまれながら生産・販売終了するケースも少なくありません。
千古不易(せんこふえき)とは、永遠に変化しないこと。また価値などが長年にわたり変化しないこと言います。厳しいお菓子業界の中で、千古不易に全国的な人気を獲得している静岡のお菓子がうなぎパイです。そんな‟うなぎパイのひみつを知ろう”をテーマに設計された、工場見学が出来る‟うなぎパイファクトリー”が今回の素敵なシーンです。
浜松市中区に本社を構え、創業年は明治1887年(明治20年)。135年の歴史を誇る和菓子製造の老舗‟春華堂”の永遠のセンター・ポジションが‟うなぎパイ”です。
今は和洋菓子とうなぎパイで全国的に知られる春華堂ですが、創業して初めて作ったお菓子は、‟甘納豆”です。その成り立ちは、茶屋の息子として生まれた創業者である山崎芳蔵さんが、故郷を離れ浜松へ渡って売り始めたのが‟甘納豆”。当時、甘納豆は庶民のお菓子の定番として人気を博したそうです。
続く2代目社長・息子の山崎幸一さんが考案したのは、現在でも春華堂のロングセラーとなっている‟鶏”(ちゃぼ)の卵に見立てた和菓子‟知也保”(ちゃぼ)。甘納豆に継ぐ贈答品の定番ヒット商品となりました。
そして時は1961年、いよいよ‟浜名湖名産・夜のお菓子うなぎパイ”が誕生します。老舗菓子店・春華堂は、‟甘納豆”‟知也保”の看板商品が人気となりますが、幸一社長は、それらを超える新しい浜松ならではのお菓子を作りたいと日々思案していたそうです。そんな中、とある旅先で耳にした「浜名湖と言えば鰻が美味しいところですよね」と聞き、鰻と当時、日本ではまだ珍しかったフランス菓子の‟パイ”を組み合わせた‟うなぎパイ”を考え付きます。
ここでしっかり誤解を解きたいと思います。‟夜のお菓子うなぎパイ”というキャッチフレーズですが、シーンウォチャーズも含めて勘違いされている方が多数いらっしゃると思います!「えっ?」と思わず口を衝いて出た方、そう、そこのあなたですよ!
「夜のお菓子」というキャッチフレーズには‟家族団らんの時間に食べてほしい(家族が揃う夕飯の時間帯)”との想いが込められているのです。実は幸一さんは、医学の道を目指していた時期もあり、みんなが元気になる栄養食品としての意味もうなぎパイに含ませたのです。もともと栄養価の高いうなぎには体力回復、視力保持に良いとされるビタミンAがあり、そこに隠し味としてガーリックを使い、これまでなかった異色の組み合わせで完成した‟うなぎパイ”は、‟夜のお菓子”という遊び心満点のキャッチフレーが功を奏して、60年以上のロングセラー商品に大きく成長したのです。‟夜”‟大人”という言葉から、何かエロい事を考えてしまったあなた!まんまと2代目幸一社長の遊び心には嵌ってしまいましたね。まあ、そんなことはさておき、すべてはこの‟うなぎパイ”自体がとても美味しかったことが、ここまでヒットした要因だとシーンウォチャーズは考えます。
さて、肝心の‟うなぎパイファクトリー”ですが、老舗のお菓子屋さんが‟うなぎパイ”をよりお客さんに愛好してもらうための、製造過程を見せながら‟より深いうなぎパイの世界”に連れて行ってくれる‟お菓子工場”なのです。清潔感に溢れた巨大ファクトリーには、ガラス越しにうなぎパイの製造工程から検品、箱詰めまでが隈なく見える動線が作られ、うなぎパイのアレンジスィーツが食べられるカフェサロン、また直営工場だから購入可能なお買い得商品などが並ぶ売店があります。驚きは、うなぎパイ製造の行程が映像化された‟うなぎパイ・シアター“までがあることで、うなぎパイを焼く甘い香りに包まれて子供から大人まで楽しめる、仕掛けいっぱいの工場見学となっているのです。
今回の素敵なシーンは、老舗のお菓子屋さんでありながら、伝統を守ることだけに終始せず、新しいことにまじめに取り組んでいく真摯なスタイルでファンを増やし続ける春華堂の‟うなぎパイファクトリー”です。