素晴らしいポイントが沢山ある本格的シーズンを迎えた静岡のサーフ・シーン~素敵なシーンウォッチング129
子どもの頃、漠然とハワイに憧れ、セットメニューの様にサーフィンがありました。そして高校生になると先輩たちがバイクから4輪に乗りかえると同時に、車の屋根にサーフボードが括り付けてあったのです。それは70年代が終わろうとしていた日本の第一次サーフィンブームの頃です。
激熱の夏が終わり、過ごしやすいシーズンが訪れています。食べものが美味しくなる季節であり、芸術の秋やスポーツの秋など、様々なイベントが行われる季節でもあります。また、本格的サーフィン・シーズンでもあります。
サーフィンを楽しむには、夏が一番良いというイメージがあるかもしれませんが、実は秋は絶好のシーズンなのです。海に入るには寒くなる季節なのに、どうして秋や冬のサーフィンがお勧めなのか?まず、サーフィンは海のスポーツなので、多くの人が海に行きたくなる夏にはサーフィンをしようとやってくる人で海は混雑します。混雑すると波に乗れる回数が減ります。それではサーフィンはうまくなりません。また秋は台風などで波がよくなります。そういったことも含めて、初心者でも波に乗りやすくなるのです。
サーフィンは、海で起きる波の斜面をサーフボードのみで滑走するシンプルなスポーツです。他のスポーツと比べて大きく違う事は、精神的なウエイトが高いスポーツだと言われます。それはなぜなのか?それは大自然を相手にするスポーツだからという事です。海のコンディションですべてがコントロールされているので、海と自身の関係性が重要になります。ですから、海に入ることですべてが変化するのです。それは自然環境についての考え方であり、自身の生活スタイルであり、生き方にまでも変化が生まれる…すべてはサーフィンとの関係性なのです。
ですから、サーフィンは競技することが本来の目的ではなく、誰かと競うのではない、他のスポーツと違う、自然との対話が生み出す精神的なスポーツなのです。
そのことを表す例が、サーフィン大会には大手のパブリックスポンサーが付きにくいという状況があります。昨年のオリンピック・東京大会で初めて正式競技に採用されましたが、常にメディアで取り上げられるサッカーやゴルフの様にメジャーなスポーツではありません。それは、競技する場所が海であり、時には波が立たず大会が開催できない時がある、またジャッジの採点が分かりにくいということもその理由ですが、それ以上に先に述べた基本、‟誰かと競うのではない、自然との対話が生み出す精神的なスポーツ”という点がサーフィンの本質だからなのです。究極の答えになると思いますが、サーフィンをする人とそうでない人に分かれるということです。サーフィンはみんなが知っているスポーツですが、決してポピュラーな存在ではないのです。
さて、サーフィンはいつどこで生まれたのでしょうか?少なくとも、西暦400年頃にはサーフィンの原形のようなものが存在していたと考えられていますが、一説によると古代ポリネシア人が、漁の帰りにボートを用いて波に乗る術(サーフィング)を知り、そこから木製の板に乗る様になった、というのが最も有力な説とされています。
ポリネシアの海洋文化研究やホクレア(ハワイ伝統航海カヌー)の建造などの仕事で知られるベン・フィニーの研究によると、サーフィンは広くポリネシア全域に普及しており、東はイースター島、西はニューギニア、北はハワイ、南はニュージーランドに及んでいたとのことです。古代ポリネシア民族において、サーフィンは古代ポリネシア民族の儀式にまで登場するなど、文化の中心的存在にまで上り詰めていったそうです。因みにハワイのカメハメハ大王もサーフィンを嗜んでいたと言われています。
1600年以上の長い歴史が、波の様に途切れることなく続いているサーフィン。日本でのサーフィンの歴史は、第2次世界大戦後アメリカ進駐軍の兵隊が湘南や千葉でサーフィンをしているのを見た少年たちが、フロートと呼ぶ自作ボードで真似たのがきっかけと言われています。
シーンウォッチャーズはサーファーというにはおこがましい、万年ビギナーですが、うまい下手はさておき、いくつであろうとも海に入ることが大切だと考えています。いい波が来なくても、サーフボードに座り波待ちをしていると、空と海の広さに感動します。地球のヴァイブレーションが、肉体と精神を自然な状態に導いてくれるのです。
今回の素敵なシーンは、たくさんの素晴らしいポイントが多数ある‟本格的シーズンを迎えた静岡のサーフシーン”です。