樹齢二千年を超える大楠の結界に守られた来宮神社~素敵なシーンウォッチング111
新緑の季節になりました。目に染みるような鮮やかな色をした木々の美しさに惚れ惚れし、また木々の出す青い樹木の匂いが新しい季節の到来を感じさせます。子供の頃、よく遊んだ小さな神社の境内に大きな木があって、かくれんぼをする時はいつもその木にもたれて「もういいかい?」と言って遊んでいた頃の事をこの季節になると思い出します。
今考えるとその木は御神木(ごしんぼく)だったのかもしれないと思います。
御神木とは‟特別に神聖視される樹木”のことで、古神道(こしんとう:日本において外来宗教の影響を受ける以前に存在していたとされる宗教。純神道、原始神道、神祇(じんぎ)信仰ともいう)における神籬(ひもろぎ:神道において神社や神棚以外の場所で祭祀を行う場合、臨時に神を迎えるための依り代(よりしろ)となるもの)としての木や森を指します。また依り代・神域(しんいき)・結界の意味も同時に内包する木々で、総じて御神木と称されます。一般的には神社、神宮の境内にある木で、その周りを囲む鎮守の森や決して伐採されることのない木なのです。
さて、今回の熱海取材第2弾の素敵なシーンですが、第1弾の商店街とは打って変わって静粛で清らかな空気感で満ち溢れた来宮神社です。高さ約26m、幹の周囲約23.9m、樹齢約2100年の楠木の御神木が鎮座する来宮神社は、平安初期の征夷大将軍坂上田村麻呂公が戦の勝利を神前で祈願し、各地に御分霊を祀ったとも伝えられ、現在では全国四十四社のキノミヤジンジャの総社として信仰を集めている、熱海観光には欠かせないパワースポットなのです。
古来、日本人は自然の山や岩、木、海などに神が宿っていると信じ、信仰の対象としてきました。そのため、古代の神道では神社を建てて社殿の中に神を祀るのではなく、祭りの時にその都度、神を招いて執り行い、その為、この世と神域の境に結界として立つとされる御神木が存在しているのです。ちなみに、家庭の神棚に生ける榊も‟簡易の御神木”の役割をしています。また楠木は古くから超越した生命力を有する木と信じられ、‟不老長寿・無病息災”の象徴とされています。
本殿裏側、糸川の崖の上にある大楠(おおくす)を一周すると‟寿命が一年延びる”という話や、願い事を心に秘め一周すると‟願いが叶う”との言い伝えがあり、蒲生(かもう)の大楠(鹿児島県姶良市:あらいし)、武雄の大楠(佐賀県武雄市:たけおし)と並んで「日本三大楠」に挙げられているのです。環境庁による巨樹・巨木林調査(昭和63年度)においては、蒲生の大楠につぐ全国第2位の巨木とされ1933年(昭和8年)2月28日に国の天然記念物となりました。通称‟来宮神社の大楠”という呼び名で親しまれています。
古くからこの大楠は知られていて1824年(文政7年)の「甲申旅日記(こうしんたびにっき」という文献では「この山に大なる楠あり。めぐり十一抱え半あり。幹はうつろに成りてほらのごとく、三十六人居並ぶという。この外にも七、八抱えの楠ありと聞けり」と記述されていて、もともと1株の木として育っていましたが、後に根元から南北2幹に分離したそうです。これは明治維新の頃に木材利用のために幹の根元に近い一部分を切り取ったところ、2幹に分かれてそのまま育ち続けたもので、かつて来宮神社の境内には、7本の大楠があったと伝わります。しかし、嘉永年間(かえい)(1848年-1853年)に熱海村と伊豆山村の間で漁業権を巡る争い(大網事件)が起こった際に、熱海村は訴訟費などを捻出するために5本の大楠を伐採。しかし、次に残りの大楠を切ろうとしたところ、突然、白髪の老人が現れ伐採を遮ったそうです。すると途端に大鋸(おおのこ)が真っ二つに折れ、老人の姿も消え去ったということです。人々はこの事態を神のお告げと受け止めて伐採を中止。大楠と第二大楠の2本が今も神社境内に残ることになったそうです。
参拝に訪れる人は大勢ですが、大楠が守る結界で作られた聖域の境内には、厳かな幸福感に満ちた安らぎが感じられます。参拝者が休める場所やベンチが用意され、また神社には珍しいカフェもあります。熱海の繁華街の喧騒を逃れて、御神木に会いに行くのも熱海観光の醍醐味かもしれません。
今回の素敵なシーンは、悠久の時から受け継がれた空気が流れる‟大楠に囲まれた来宮神社”です。
熱海 來宮神社(きのみやじんじゃ)