野面積み(のづらずみ)の石垣が美しい出世城といわれる浜松城 ~素敵なシーンウォッチング100

寒さの第四コーナーを回ったこの頃、待ち遠しい春がもうそこまでやってきています。そんな中、今回の素敵なシーンの取材先は、桜で有名な浜松城…の開花前の姿です。実は桜のシーズン~草木が生い茂る時期には隠れてしまう、お城の全景を見に来たのです。

浜松城は、徳川家康が17年間過ごしたお城で、歴代城主の多くが後に江戸幕府の重役になっていることから、‟出世城”ともいわれています。浜松城の前身は今川家家臣・飯尾氏の居城(きょじょう)・曳馬城(ひくまじょう)でしたが、1570年、天下を取るためには武田信玄を倒さなければならないと考えた家康は遠江侵攻の際に攻略し、武田家の侵攻に備えるために浜松城として改修し、居城しました。

浜松城は、後に天下を取る家康の大切な足がかりを掴むためのお城で、家康が居城した中でも時代の要となった城でした。家康は浜松城を拠点にしている際、姉川の合戦(あねがわのたたかい)や三方ヶ原の戦い(みかたがはらのたたかい)、小牧・長久手の戦い(こまき・ながくてのたたかい)など、歴史に名を刻む戦いを経験。特に注目されるのは、生涯の中で最大の危機とされた関ヶ原の戦いより熾烈な戦いといわれる三方ヶ原の戦い(みかたがはらのたたかい)で逃げ帰った城もこの浜松城でした。

江戸幕府を開き時代を創った家康ですが、家康が駿府城へ移ってからは譜代大名各家がこの浜松城に次々と入り、歴代城主が出世したことから、このお城は縁起が良く“運に恵まれる城”として有名になったそうです。

さて、この浜松城の魅力は、歴代城主が強運に恵まれて出世するという逸話が一般的なのですが、実はこのお城の天守台=石垣は、お城マニアの方、特に石垣マニアの方にはたまらない魅力あるところなのです。天守閣は模擬天守閣でも、天守台周辺は当時の様子がうかがえる貴重な文化財として、マニアの間では必見の石垣となっているそうです。

浜松城の石垣は、大阪城のような四角い石が綺麗に積みあがった‟打込ハギ”や、江戸城のような築石の接合部分を削ることによって隙間を少なく詰めた‟切込ハギ”などの近代的な工法でなく、‟野面積み”の石垣であることで広く知られています。この‟野面積み”の工法は、自然石をほとんど加工しないで積んでいく方法で、名前の如く自然石をそのまま積み上げる工法です。加工せずに積み上げただけなので石の形に統一性がなく、石同士がかみ合っていないために隙間や凹凸が顕著で、そのため敵に登られやすいという欠点があったそうですが、水ハケが良く他の積み方と比較しても耐久性は劣らなく地震に強いという利点もありました。ただ技術的に初期の石積法で、鎌倉時代末期に現れ、本格的に用いられたのは16世紀の戦国時代のことであったとされています。

現在は明治維新後に出された廃城令によってお城は壊され、1958年、旧天守台の上に新天守閣が再建され今に至っています。

 今回の素敵なシーンは、‟出世城”こと浜松城なのですが、シーンウォチャーズが注目したのは、城の土台である天守台、石垣です。それはなぜなのかと申しますと、どれだけ立派な天守閣を持っていたとしても、一番大切なのはその土台です。この城の城主となり出世し江戸幕府の重役に付いた人たちも、家康という土台があってのことなのです。

天守閣からの景色に魅力を感じるよりも、城に続く道から俯瞰で見上げた天守台の力強さに、この城が放つ本当の魅力を感じた次第です。

PS 寒風空き荒む2月の取材時は、水が緩るみ息吹が聴こえる春の気配はまだ遠くでしたが、この記事が紹介される頃には桜の蕾も膨らみ、やがて満開の桜で覆われて見えなくなる天守台。それもまた刹那な季節の彩として、是非目に焼き付けたい素敵なシーンでもあります。

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桜のシーズンがもうそこまで来ていますが、石垣の全景は今じゃないと見られません
野面積みの美しい石垣
家康の資料が展示されている模擬天守閣

自然の石を加工せずそのままに積み上げた野面積み工法の石垣
かつての栄光をたたえる模擬天守閣
今の時代を家康公はどう感じておられるのでしょうか?
もうすぐ桜の花で覆われる天守閣
浜松城址の全景図と公園の案内