改めて七転び八起きの意味を知る、西伊豆・土肥達磨寺~素敵なシーンウォッチング94
子供の頃から何度「だるまさんがころんだ」と後ろを振り返ったのだろうか~今も公園などで小学生がそう言いながら遊んでいます。その存在を知る前から私たちに親しまれているだるまさん。今回の素敵なシーンは巨大な達磨を祭った西伊豆の土肥達磨寺(といだるまでら)です。
だるまと言えば‟選挙”。願い事をして片目、叶うともう一つの目を入れて両目が揃う選挙のマストアイテム、赤だるまが有名ですが、いつ頃からだるまが存在したのでしょうか?
だるま人形の原型は約1400年前の唐の時代に、お酒をすすめる酒胡子(しゅこし)という玩具がルーツと言われています。酒胡子とは尻の尖った木製のコマのようなもので、これを回して倒れた方向に座っている人が盃を受けるという、酒席の遊びとして使われていました。それから時が経ち、明の時代になると酒胡子に代わって不倒翁(ふとうおう)という張り子の玩具が登場しました。不倒翁は、その名の通り転がしても倒れない翁の人形で、老いてますます元気な姿を象徴し、酒の席で健康を祝福するというめでたい意味がありました。この不倒翁が室町時代に日本に伝えられると、老いても倒れないおじいさんが、転んでも起き上がる元気な子どもの姿に変わり‟起き上がり小法師(こぼし)になったのです。
そして江戸時代になると‟起き上がり達磨”が誕生します。達磨とは、禅宗の始祖と伝えられる達磨大師のことで、南インドの国王の三男として生まれ、出家してからは国内で67年間仏教を広めました。その後中国に渡り、武術で有名な嵩山少林寺(すうざんしょうりんじ)に滞在。ここで壁に向かって座禅を組む壁観(へきかん)という修行を9年間も続け、その過酷さからついには手足が腐り落ちてしまったと言います。また、修行中に寝てしまわないようにまぶたを切り落としたとも言われていて、手足がない形と大きく見開いた目はこの逸話に影響しています。
達磨大師の教えは平安時代に日本に伝わりましたが、教えがとても難解なため、民衆に普及させる方法として赤い衣をかぶって座禅をする達磨大師の絵を活用したそうです。やがて江戸時代になると似たものに‟見立てる”(見た感じ、みばえ、なぞらえること)ことが流行し、達磨大師は‟起き上がり小法師”に見立てられ、‟起き上がり達磨=だるま”が誕生したのです。
だるまは、達磨が偉いお坊さんであったこと、めったに倒れず倒れてもすぐに起き上がることから、倒産せず商売繁盛、七転び八起きで縁起が良いとされ、大願成就、病除け、五穀豊穣などの願いが託されるようになりました。
前置きが長くなりましたが、今回取材させてもらった西伊豆・土肥にある土肥達磨寺は、達磨寺として名高い京都法輪寺(ほうりんじ)の分院で、臨済禅中興(りんざいぜんちゅうこう)の祖と仰がれる白隠慧鶴禅師(はくいんえいかくぜんじ)が伊豆を行脚されたとき、富士山の好展望地として知られる土肥の富士見台に腰を下ろして休んで行かれたことがきっかけで開創されたお寺。本堂には不死身達磨大師と命名された高さ5m、重さ3トンの日本最大の達磨大使坐像が安置されていて、この像に「南無達磨娑婆詞」(なむだもそわか)と3回唱えてお参りし、開運札に願い事をひとつ書いて宇宙創世発展の5大要素(空・風・火・水・土)を5色に表した五色願懸け達磨に貼り付けると願いが叶うと言います。
素敵なシーンウォッチャーズなんてお気軽な名で静岡を行脚させてもらっていますが、今の世はコロナ禍、政治不安、貧富の差、自然災害などで生きづらさが蔓延していると感じる人も少なくありません。そして人生はずっと調子が良いわけではなく、不運に不幸、失敗やしくじりで苦境に陥り挫折を味わうこともあります。今回訪れた土肥達磨寺で感じたことは、改めてだるまさんの存在意味を知ったことでした。
今回の素敵なシーンは、たとえ倒れても必ず起き上がるだるまが持つ‟七転び八起き”の精神で、私たちが今必要としている心強さを教えてくれた達磨大使坐像です。
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