トンネルに入ると造られた当時にタイムスリップさせられる天城山隧道~素敵なシーンウォッチング93

令和3年最後の‟ラジオで見る静岡”の素敵なシーン‟浄蓮の滝”は、石川さゆりの「天城越え」が話の中心となっていましたが、実は今回紹介します天城山隧道(あまぎさんずいどう)こそが、実質的な‟天城越え”ということなのです!天城越えとは、静岡県伊豆市と賀茂郡河津町の境にある天城峠を越える旅路のことを指します。(ちなみに隧道とはトンネルと同じものなのですが、1970年のトンネル会議において使われないという方向になった為、1970年より古くに作られたトンネルはいまだに隧道という名前を使っているからなのです)

伊豆半島を南北に縦断する天城峠越えの道は、天城路(あまぎじ)や、天城街道(あまぎかいどう)とも呼ばれ、伊豆半島の南に位置する下田と北に位置する三島を結ぶ街道は下田街道と呼ばれています。天城越えの天城路は同街道の一部で、伊豆半島の内陸と半島南部の間には日本百名山のひとつ天城山の峰々があり、これを越えるのは下田街道の最大の難所でした。しかし1905年(明治38年)に天城山隧道(旧天城トンネル)が開通し、多くの人と物資がこの天城峠を越えて行き来するようになったのです。このトンネルの全長は445.5mで、トンネル壁面や入口アーチなどはすべて切り石で作られています。現存する国内最長の石造トンネルを歩くと、苔が張り付いた内部の壁と閉じ込められた空気感によって、トンネルが造られた当時にタイムスリップしたような感覚に襲われました。

天城越えは川端康成の「伊豆の踊子」や松本清張の「天城越え」、そして石川さゆりの「天城越え」などのテーマにもなり、天城山隧道にも観光客が訪れるようになりました。その後、1970年に新天城トンネルが開通した為、旧街道の天城山隧道を含む天城路は、物資流通の街道から現在は、‟踊子歩道”と呼ばれる全長約16kmの遊歩道として整備されて、浄蓮の滝や自然休養林の‟昭和の森”を辿るハイキングコースとなっています。

最古の天城越えの記録は平安時代で、現在の天城峠から1.2 kmほど西の古峠を越え、寒天橋から再び新山峠に登り、奥原または河津川沿いに迂回していたとされています。そしてこの天城路(下田街道)は、伊豆の穏やかな気候と自然に恵まれた場所であり、加えて温泉郷があったことから昔から密かな隠れ里であったのだと思われます。それ故、多くの文人が訪れており、数多くの小説の舞台として天城越えが登場します。

川端康成の名作で知られる小説「伊豆の踊子」では、「通がつづら折りになっていよいよ天城峠に近づいたと思う頃…」と描かれており、天城路を旅する様子が綴られています。川端の他にも島崎藤村や井上靖などの小説家たちも天城路を歩いており、天城路に沿ってゆかりの文学碑や詩碑も数多く建てられているので、小説の舞台をリアルに堪能するのも良いかもしれません。

伊豆は、静岡県の中でも特に観光地としての魅力を濃縮していて、国内有数の温泉地であることは言うに及ばず、沿岸部では新鮮な海の幸が溢れる美食の宝庫であり、多くの史跡・景勝地を有する魅惑の半島なのです。

今回の素敵なシーンは、伊豆半島の魅力を何十倍にもさせた天城山隧道ですが、それ以上に心に香ったものは、小説などに書かれた当時を想い起させるタイムカプセルのようなノスタルジックな伊豆半島の風情です。それは開発が困難な地形であることが幸いして、街道の整備や新たな道路が開通しても、昔から伝わるこの地独特の風情が多く残されているからで、むやみやたらな開発は魅力を半減させるだけだということを教えてくれるものでした。

何かが潜んでそうな天城山隧道の入口
伊豆市修善寺側、天城山隧道の入口には駐車場やトイレが併設されている
天城山隧道の歴史が書かれた石碑
周辺のハイキングコースなどが書かれた看板
アーチや側面などもすべて切り石で造られた日本初の石造トンネル
道幅は狭く車はすれ違えないので注意して進入する事
下田側から見た天城山隧道
国道414号線に掲げられた大きな看板
天城山隧道入口に車を止めてハイキングコースなどにアプローチできる
このゆるさが伊豆の魅力を表していました!