家康没後400年が過ぎても光り輝く久能山東照宮~素敵なシーン・ウォッチングFIEL83

緊急事態宣言も解除され日常を取り戻した今、この秋を思う存分楽しみたい気持ちがふつふつと湧いてきます。そんな気持ちを満足させに素敵なシーンウォッチャーズが訪れたのは、季節と展望と歴史を同時に堪能できる静岡屈指のメジャースポット、久能山東照宮です!

徳川家康を祀る久能山東照宮は、今から約1400年前に久能忠仁が山を開き‟久能寺”を建て、観音菩薩の像を安置し“補陀落山久能寺”と称したことに始まります。平安朝時代には、仏教隆昌と共に多くの僧坊が建てられ、僧行基、伝教大師等を始め多くの名僧知識が相次いで来往し、360坊1500人の衆徒をもつ大寺院となり、まさに東海道屈指の寺院として栄えていました。しかし、残念なことに山麓の失火によって類焼してしまいます。

戦国時代となり駿府へ進出した武田信玄は、“久能寺は要害である(地形がけわしく守りに有利なこと)”とし、久能寺を近くの北矢部(静岡市清水区)に移し山上に城砦を設け“久能城”を築城しました。戦国時代、時の流れは早く武田氏が滅亡。その後、天下統一を果たした家康領となり、家康が薨去の際、久能山に埋葬され久能山東照宮が建築されました。

久能山東照宮への参拝ルートは、日本平ロープウェイを利用するか、表参道の石段を上って行く2つがあります。今回の参拝はまず1159段のつづら折りになった石段を登るルートで向かいます。目的地の東照宮の拝殿は、桃山時代から江戸時代初期の技術の粋を集めた権現造りと呼ばれる豪華絢爛な建物で、平成22年に静岡にある建造物で初めて国宝に指定され、境内にある楼門などの14棟が重要文化財に指定されています。

艶やかで派手な色彩に翻弄されがちですが、様々な場所に彫られた家康の思想を感じさせる彫刻にも東照宮の魅力が秘められています。例に挙げると、拝殿近くの唐門には“人間は獅子のように心身ともに強く、牡丹のように美しく優しくあれ”という意味が込められた‟唐獅子と牡丹”の彫刻があります。また、楼門の上部にある霊獣・獏の彫刻は、古来より平和の象徴とされ、獏が争いのない世の中でしか生きられないことから、平和への強い願いが込められているそうです。

その昔、久能山は日本平と同じく平野でしたが隆起によって山となり、長い年月の間に浸食作用によって現在のように孤立した山となりました。久能山東照宮が建立された当時と今も変わらず眼下に駿河湾を見下ろし、伊豆半島を東に西は遠く御前崎を一望できる雄大な景色が広がっています。死後においてまでその権力を地上に残す天下統一と言う偉業をなし終えた家康。75年の生涯のうちおよそ30年間を静岡県で過ごした家康。晩年を駿河国(現在の静岡県)駿府城で過ごし生涯を終えました。亡くなる直前、余命いくばくもないことを悟った家康は「遺骸は久能山に埋葬すること」を言い残し死去。それほどまでにこの地にこだわった家康。遥か遠い昔、この山は観音菩薩の霊場とされ、観音信仰の聖地だったと言います。また景観豊かで温暖な気候は、戦国の世においてはひと時の安らぎに感じたことでしょう。

コロナ禍の中で感じた寂寥感が少し和らいだ晩秋。平和を愛した家康が祀られている霊山・久能山東照宮に赴いて、どんな思いで天下統一を成し遂げたのか、当時に想い馳せてみるのも良いのではないかと思いました。

久能山、南側からの徒歩で行く参道入口
絶景を拝みながら1159段のつづら折りになった石段を登る
一の門から見える駿河湾
左右に隋神が安置されている迫力ある色彩が魅力の楼門
楼門の上部に彫られた霊獣・獏の彫刻
門を抜けた脇にある家康公の手形!意外に大きい⁈
極彩色の豪華絢爛な作りの本殿
拝殿の正面に立つと、一瞬別の世界に連れていかれます
ここで家康公がこの地にごだわった理由を詮索します
家康公の遺体が埋葬されている本殿の裏にある「神廟」
西は御前崎を望み、東に伊豆が見渡せる絶景に魅了されます