匠の技で組み上げられた石垣が光る横須賀城址~素敵なシーン・ウォッチングFIEL81

居座っていた夏もやっと陣地を明け渡し、涼しい風と共に秋が到来しました。収穫の秋、行楽の秋とあちこちに出かけて美味しいものを食するシーズンでもあり「ラジオで見る静岡」の取材にうってつけな季節と相成りました。そんな空が高い秋に訪れたい場所ということで、今回の素敵なシーンは‟お城シリーズ第4弾”という事でお送りしましょう!

「ラジオで見る静岡」でこれまで取材した城、城跡は、花沢城跡、小山城、そして高天神城跡の3つですが、これまで取材した城あとの表記は跡や址など、様々な漢字が使われています。では、この‟跡・址・趾”という漢字、どう使い分けられているのか?調べてみました。城址の址・趾という漢字には、「建物の土台」という意味があります。ですからお城の土台、石垣などのあと、を指します。敢えて使い分けをするのであれば、石垣など何らかのものが残っていれば‟城址・城趾”、天守閣はもちろん土台もまったく何も残っていないという状態であれば、“城跡”を使うそうです。

さて、今回の取材地ですが、横須賀城址です。“址”ですので、何らかの建造物があることとなります。しかしながら、小山城の様に天守閣があったりするのではなく、見事な石垣の土台のみが残っている城址なのです。

戦国時代末期、この地方は西の徳川勢力と東の武田勢力との境界地帯となって攻防が続きました。天正6年(1578年)、徳川家康は家臣の大須賀康高(初代城主)に命じて高天神城攻略の拠点としてこの横須賀城を築かせました。そして3年後の天正9年、高天神城は落城となり、横須賀城が遠州南部の拠点として位置づけられました。その後280余年に渡り横須賀藩の中心部として君臨しましたが、明治維新とともに廃城となり、残された城跡は国の指定文化財として整備が進められ、現在に至っているのです。

正直、横須賀城は、余程のお城マニアでもない限りその名前を知らない無名な城です。しかし、ある特徴からこの横須賀城址は注目を集めているのです。通常のお城はほとんど、石垣の角は“算木積み”と言って、長方形の大きめの石を互い違いに積んで両側の石垣の強度を支えています。ところがこの横須賀城は通常のお城の土台の石垣とは違う、河原によくある「玉石」で積まれています。ですから上へ行くほど反りが厳しくなる角張った石を積み上げた戦国のお城の石垣にはない、”優しさ”があるのです。言い伝えによると天竜川より運ばれた玉石垣を用いたそうで、天守台は玉石石垣の上の一段と高くなった部分にありましたが、残念なことに明治時代の廃城令で天守は壊されてしまいました。

今回の素敵なシーンは、秋晴れの日に訪れたい横須賀城址で、見所は匠の技が施された石垣です。戦国の時代においても、美しさにこだわった石垣を有する横須賀城は、土台だけになってもその存在感を失わず、地域の人の憩いの場として新たな魅力を発揮する異色のお城でした。

美しく積み上げられた”玉石”の石垣
本丸跡に建てられた”横須賀城址”を標す石碑
天竜川から運ばれたと言われている玉石
土台である石垣しか残っていませんが、計算された設計が偲ばれます
近くで見れば見るほど、その巧みな積み上げ技術に驚きます!
箱庭のようなたたずまいを見せる横須賀城址の石垣
夕日に照らされて表情を変える石垣
明治時代に取り壊されるまで存在した証が今も残っていました
横須賀城の全景模型
今は抜け殻となった天守台の跡がそこにありました