富士山の湧き水が街を潤す、水郷の都・三島を流れる源兵衛川~素敵なシーンウォッチング114
〝水と空気は只″とは日本人がよく使うフレーズですが、そうでない国は多数ありますし、日本でも只だけれども、そんなに綺麗じゃないので…なんていう地域もあります。しかし実際に住むとなったら〝水と空気″が綺麗なところに住みたいとシーンウォッチャーズは強く思うのです。〝住みたい街ランキング″などという、誰が作ったかもわからない、全くもって根拠のない順位を信じることはないですが、静岡に住む数少ない友人たちが「三島は住みやすいよ」と言っていたことが、今回の素敵なシーンの取材でよくわかりました。
三島駅から徒歩5分にありながら、初夏の夜にはホタルが舞う美しい流れがあり、“せせらぎ散歩“なる、川の中に飛び石や木道(もくどう)などが設置してある源兵衛川(げんべいがわ)は、楽寿園の小浜池(こはまがいけ)の富士山の伏流水による湧水を水源とし、中郷温水池(なかざとおんすいち)に注ぐ全長約1.5kmの灌漑(かんがい)用水路で、中郷地区の農業用水のために流路(りゅうろ)の一部が人工的に作られた川です。
富士山の伏流水が湧出した小浜池は、長く三嶋大社の浜下り(はまうり:3月3日に災厄を払い除くために、浜辺に出て行う清めの行事)の池でした。戦国時代となり、伊豆の守護代寺尾源兵衛(じゅごだいてらおげんべえ)が、水田用水に河川工事を行ったことから源兵衛川と呼ばれるようになったと言われています。今から約600年前の頃の話です。
また水源の小浜池から広瀬橋辺りまでを広瀬川と言う人もいます。これはかつてこの川沿いに三島を代表する料亭があり、水が豊富なため、舟で料理を運んだという優雅な話から推測すると、広瀬川という名称はかつての広い瀬の名残だと言えるかもしれません。
実はこの源兵衛川、今は綺麗に整備された“住みたい街″の象徴的存在となっている主役ですが、紆余曲折な歴史があるのです。昭和30年代中ごろから上流域での企業の水の汲み上げなどが原因で豊富だった水量は激減し、川の汚染もひどくなりました。しかし、平成2年にこの川の流域が、農林水産省の〝農業水利施設高度利用事業゛の一環として〝源兵衛川親水(しんすい)公園事業″の指定を受けたことにより14億3千万円の事業費が下り流域が整備されました。加えて、東レ株式会社三島工場の協力で1次冷却水を川に流すことで、昔のような美しい水辺環境が取り戻されたそうです。また、市民により〝源兵衛川を愛する会″が平成5年に結成され、定期的な河川清掃や〝三島ホタルの会″による蛍の幼虫放流などの活動もあり、親水公園は現在のように美しい水質と景観が維持されています。
駅前の街の中を流れる河川であるのに、川の中を散歩できるように置き石があり、市民や観光客が多数訪れ、子供たちのよい遊び場にもなっている源兵衛川には、水環境整備のための見学、視察の人たちなど、この美しい川を一目見ようと全国各地から多くの人が訪れます。それは、古くからの川の流れを絶やすことなく人々の生活を守り続け、戦国時代から現在に至るまで灌漑用水として活用され続けてきた歴史と川を基本とした理想の都市設計を実現した街を実際の目で見る為だからだと思います。
源兵衛川を流れる富士山の湧水は年間を通じて15~16℃で、近年まで洗いものをしたりブリキのタライを浮かべ、その中に魚や野菜を入れて冷やす天然の冷蔵庫となっていたそうです。これから夏にかけての熱くなるシーズン、冷たい川の流れが訪れた人たちに涼感を与えてくれます。
全国に無数にある川。知らないと見逃してしまうような川から一級河川まで、その存在は様々です。しかしその川の歴史を知ることで、街全体のイメージが大きく変わることもあります。今回の素敵なシーンは、三島の街の中を流れる源兵衛川が語る〝三島の街の素晴らしさ″です。