一切宗派にこだわらない富士の裾野の自由な神宮寺、ありがた山にある、ありがとう寺&ありがとう神社~素敵なシーンウォッチング115

シーンウォッチャーズももちろんそうですが、日本人はクリスマスを祝い、お正月には神社にお参りに行き、お盆には墓参りをして、最近はハロウィーンで盛り上がったりします。しかし、いざ宗教に関してのことになると口が重くなります。

ウィキペディアによりますと宗教とは、「一般に人間の力や自然の力を超えた存在への信仰を主体とする思想体系、観念体系であり、また、その体系にもとづく教義、行事、儀礼、施設、組織などをそなえた社会集団のことである」とし広辞苑では「神または何らかの超越的絶対者あるいは神聖なものに関する信仰・行事」とあります。

‟触らぬ神に祟りなし”なんて言葉がありますが、宗教団体の中には壺を買わせたり、見知らぬ人と婚約させられたり、全財産をお布施しなさいなど、良い悪いは別にして驚くような教義が存在するものもあります。

今回の素敵なシーンウォッチングは、これまで幾度となく神社仏閣を取材してきたシーンウォッチャーズが思わず〝えっ?!″と唸ってしまったインパクト限界突破なお寺〝ありがとう寺&ありがとう神社″です。

御殿場市の富士見12景にも選ばれている霊峰・富士山ウォチィングの絶景ポイントのひとつ、時之栖を見下ろす小高い山を登って行くとありがとう寺に出くわします。お寺の門をくぐると富士山が参拝者を出迎え、その富士山を崇める様にありがた山のパワースポット、不二の岩(ふじのいわ)があり、右手には護摩堂(ごまどう)(護摩:サンスクリットでホーマ)とは、インド系宗教において行われる火を用いる儀式で、供物、供物をささげることを意味するサンスクリットのホーマを音訳して書き写した語)なる富士山を拝めるガラス囲いの建物、左手には禅堂があります。

ここまでは然して不思議な雰囲気は漂っていませんでしたが、禅堂の奥にある小道に進むと右手に薬師様?の後ろ姿が見え、眼下には千体を遥かに越えるお地蔵さまが並んでいるではありませんか。圧巻というか‟ここまでやるか”というこの風景はなかなかの迫力で、この‟お寺は只物ではない感”が漂ってきます。しかし、驚いたのはほかでもありません。無数のお地蔵様の並ぶ小山を降りたところに鳥居があり、そこには何と!ありがとう神社があったのです!!

このありがとう神社は、雲見浅間神社(くもみせんげんじんじゃ)の磐長姫(いわながひめ)から神託を受け、烏帽子山頂上(えぼしやまちょうじょう)より授かった霊石をご神体として奉斎(ほうさい)されています。また記紀神話(ききしんわ:‟古事記と日本書紀”との総称)の中で、決裂した関係に置かれている木花咲耶姫(このはなさくやひめ)とその姉である磐長姫、さらには地元の龍神を祀る神社なのです。ありがとう寺にありがとう神社。所謂、神仏習合(しんぶつしゅうごう)です。

ここで解説を!神仏習合(神仏混淆:じんぶつこんこう、とも言う)とは、神と仏を調和させ同一視する思想で,神道と仏教の同化を示すものです。奈良時代が起源で,神宮寺(じんぐうじ:日本で神仏習合思想に基づき、神社に附属して建てられた仏教寺院や仏堂を言います。別当寺(べつとうじ)、神護寺(じんごじ)、神願寺(じんがんじ)、神供寺(じんくじ)、神宮院(じんぐういん)、宮寺(みやでら)、神宮禅院(じんぐうぜんいん)ともいう)の建立が行われ神のための納経(のうきょう)もあったそうで、平安初期には神前読経(しんぜんどきょう)や神に菩薩豪(ぼさつごう)をつけるようになり(八幡大菩薩:はちまんだいぼさつ、など)、その後、江戸時代には国学の隆盛に伴い,復古神道(ふっこしんどう)などが提唱されましたが,民間における習合思潮(しゅうごうしちょう)は変化せず、明治維新の神仏分離令発布まで続いたと言います。ただ、昔は神も仏も同じだったというのは間違いで、どちらも‟信仰の対象”と考え,沢山いる神様と沢山いる仏様の相互関係を考え出したのが、神仏習合、神仏混淆なのです。

実はこのありがとう寺、小高い丘の上にありますが、下から登って来るとありがとう神社が先にあり、どちらが優先されているというのでなくどちらも大切にされています。境内のありとあらゆるところに‟ありがとう”という言葉を含んだ教えが書かれた木札が立てられていて、中には「地獄に堕ちてもありがとう」と書かれたものもあり、思わず吹き出してしまいました。

神や仏の存在を良い時だけ信じて、都合が悪いと聞く耳を持たない、占いみたいなものと一緒にしている信仰心のかけらもない罰当たりなシーンウォッチャーズですが、このありがとう寺や神社に来て、とてもシンプルで清々しい気分になりました。それは、信仰イコール全ての物、人に感謝するということなら、神様、仏様に限らず至極納得できることだからです。誤解を恐れず発言させて頂きますと、イワシの頭のようにとるにたらないものでも信ずる気持ちがあれば尊いものに見える、信仰心の不思議さをたとえた‟鰯の頭も信心から”という諺はこれまで宗教を小ばかにしたものだと理解してきましたが、そうではなく信仰とは、人がそれぞれに持つもので、心が強くなるおまじないなのだと感じたことです。

今回の素敵なシーンは、誤解を恐れず建立された‟ありがた山にある、ありがとう寺・ありがとう神社”です。

御殿場高原 時之栖 ありがた山   静岡県御殿場市神山719

霊峰・富士山ウォチィングの絶景ポイントにありがとう寺があります
ありがた山のパワースポット、不二の岩
不二の岩の鳥居越しに富士山が拝めます
不二の岩の右手にあるガラス張りの護摩堂
富士山が望める護摩堂の内部
禅堂の奥にある小道に進むと右手に薬師様?の後ろ姿が見えます
薬師様が見下ろす1800体のお地蔵さまがいらっしゃいます
無数のお地蔵様の並ぶ小山を降りたところに鳥居があり、そしてありがとう神社が!!
境内の至る所にお地蔵様がいらっしゃいます
風神を前に「地獄に堕ちてもありがとう!」今回の取材で一番インパクトがあるお言葉でした!