滝から聴こえてくる情念の謳「天城越え」が切ない、伊豆‟浄蓮の滝”~素敵なシーンウォッチング91

石川さゆりが1986年に発売し、同年の第37回NHK紅白歌合戦で初披露され、その後も合計12回も歌唱された紅白史上最多記録となっている第28回日本レコード大賞・金賞受賞曲の「天城越え」。‟浄蓮の滝”の脇には、演歌歌手・石川さゆりのヒット曲「天城越え」の歌碑がありました(歌詞に浄蓮の滝が登場するため)。

さて、本題の浄蓮の滝は狩野川の上流部、天城山の北西麓を流れる本谷川(ほんたにがわ)にあり、1万7000年前に伊豆東部火山群の鉢窪山(はちくぼやま)スコリア丘が噴火した際に流れ出した溶岩流によってできた崖に流れ込む流水で、落差は25m、幅は7m、滝壺の深さ15mの滝です。滝の名前は、浄蓮寺という寺院がかつて滝の左岸付近にあったことから‟浄蓮の滝”という名称がついたと言われています。明治時代に有志によって滝に降りる道が開かれるまでは、断崖と峡谷に阻まれ、その姿さえ見ることが困難であった神秘的な滝とされていたそうです。

実はこの地には、滝壺に美しい女郎蜘蛛の化身が棲むとの伝説があります。物語は、浄蓮の滝の滝頭にある畑で農夫が腰をおろしていると、女郎蜘蛛が足に糸を巻きつけてくるので糸を切らないようにはずし、近くの切り株に糸をかけ農作業に戻ろうとすると、その直後、轟音と共に切り株が根こそぎ引き抜かれて浄蓮の滝壺に落下していくのです。それ以来、村人は滝へ近づかなくなったのですが、そのことを知らない樵が浄蓮の滝で仕事をしていてあやまって鉈を滝壺に落としてしまいます。樵が鉈を探しに滝壺へ飛び込むと“美しい女”があらわれ、鉈を返すかわりに「私と会った事を誰にも言わないでください。破れば命をいただきます」と約束させられます。ですが、約束を忘れた樵は酒の席で仲間に話してしまいます。すると、酔いつぶれた樵は再び起きることはなかったという‟女郎蜘蛛の伝説”がこの浄蓮の滝にはあるのです。

さて、話は少し脱線しますが、石川さゆりの代表曲2トップが「津軽海峡冬景色」とこの「天城越え」。またカラオケの人気ランキングでこの2曲が1、2位を常に独占。そしてWeb検索では作詞家・吉岡治氏の書いた「天城越え」の歌詞についての解説がとても多く見られます。その理由は「天城越え」が「津軽海峡冬景色」と比べて歌詞が難解であることから、歌詞の意味を知りたいというものが大半を占めています。この曲が発表された当時はカラオケブームのど真ん中で、レコード会社は「石川にしか歌えない、難易度の高い作品を」ということをテーマに制作。それ故に歌唱テクニックは勿論、歌詞を理解して表現することは相当の実力を持った歌い手でも簡単ではない楽曲なのです。作曲した弦哲也氏によると「石川は歌詞を初めて見た瞬間、戸惑いの表情を浮かべた。“こんな情念の籠もった歌、自分には歌えない”そううろたえ途方に暮れている様子だった」と話されています。

伊豆半島の天城山を舞台に作成された楽曲であり、ご当地ソングにも任命された「天城越え」は、発売の前年1985年、吉岡氏と弦氏、桜庭氏(編曲)の3人で天城湯ヶ島町の温泉旅館・白壁荘で製作されました。吉岡氏は旅館周辺を散策する事で詞の原案を練っていたといいます。

Web検索では「天城越え」の歌詞について様々な解説がなされていますが、概ね男女の情念がテーマの不倫が香る曲と言うものが大半を占めています。しかし、シーンウォッチャーズは、重要なポイントが抜けていると感じるのです。それは、この「天城越え」の主人公は樵との約束を反故にされた浄蓮の滝に住む女郎蜘蛛の化身で、あくまでも仮説に過ぎませんが、この歌詞は‟女郎蜘蛛の伝説”を下地にして書き上げられているという事です。

「天城越え」の歌詞の冒頭、今ではなかなか言葉にすることが躊躇われる「誰かに盗られるくらいなら、あなたを殺していいですか」で物語が始まり、そして「戻れなくてももういいの、くらくら燃える地を這って、あなたと越えたい天城越え」と括られています。歌の主人公を女郎蜘蛛の化身だと考えてみれば、歌詞を読めば読むほど、女郎蜘蛛の化身が、浄蓮の滝で樵との出会いを秘密にしてほしかった想いが書かれているように感じます。不倫の歌詞のように聴こえるのは、深読みすると、決して人にはなれない女郎蜘蛛の化身が美しい女性の姿に身を変えて樵と出会う。そこには決して結ばれることはない人と化身という運命があるのですが、唯一の絆はこの出会いを他言しないという‟二人だけの約束”。しかしそれは反故にされてしまいます。実は、この歌は一途な不毛の想いを歌った唄なのですが、道ならぬ恋の歌に聴こえるような歌詞に仕上げられているのです。もし、吉岡先生が今でもお元気ならば、この歌詞の捉え方を是非伺ってみたかったとシーンウォッチャーズは考えたのでした。

今回の素敵なシーンは、作詞家、故・吉岡治氏が残された「天城越え」の作詞の巧みさとこのクライム・ストーリーを歌い切って大ヒットさせた石川さゆりの歌唱、そしてこの伝説を支える神秘的な様相をした‟浄蓮の滝”の姿そのものです!

美しい水しぶきを上げ、神秘的な表情を見せる浄蓮の滝
川端康成の「伊豆の踊子」の舞台にもなっています
女郎蜘蛛の伝説が書かれた看板
その昔、有志の志によって開拓された滝に続く道
川沿いには、清らかな水で育てられるわさびが販売されている
圧巻のわさび畑
天然記念物に指定されているハイコモチシダの石碑
楽譜が書かれた「天城越え」の歌碑
この滝には女郎蜘蛛の精が住んでいると伝えられています
間違いなく何かがいると感じさせる神秘がありました