移ろいでいく古城に吹く夏の風が涼しい、高天神城跡~素敵なシーン・ウォッチングFIEL77

このコーナーの取材で静岡の名所旧跡を見て歩いていると、城、城跡がとても多いことに気付かされます。日本の城(国指定史跡)ランキングでは、兵庫、沖縄、熊本に次いで静岡は4番目に城の多い県という記述があります。静岡県は、駿河国、遠州国、伊豆国がありそれぞれの国が城を数多く有し、戦国の世を戦い抜いてきた歴史の足跡が残されています。それは今の時代も同じく、世の中を治める頂点に君臨する者は、いつの世も永遠ではなく、栄枯盛衰が繰り返されている証拠でもあるのです。良い時代であったのか、それともあまり良くない時代だったのかは、時が過ぎてみないとわからなかったりもします。

さて、今回の素敵なシーンは、遠江国城東郡土方(ひじかた)、現在の静岡県掛川市上土方・下土方にあった高天神城跡(たかてんじんじょうあと)です。小規模ながら、山城として堅固さを誇り、戦国時代末期には武田信玄・勝頼と徳川家康が激しい争奪戦を繰り広げた歴史的にも有名なお城の跡です。

菊川下流域の平地部からやや離れた北西部に位置し、優美な山の形から鶴舞城の別称を持つ、国の史跡に指定されている高天神城跡。実際に史跡を訪ねると見えてくるものがありました。やはりどの城もそうですが、敵が攻めてくることをいち早く知るために見晴らしがすこぶる良いということ。そして攻められた際に守りやすい地形であり、味方の城との連携が取りやすい場所に位置していることが条件となるようです。それ故、要の城が敵陣により攻められ陥落すると、次々に陣地を奪われて行く負の連鎖に陥るのです。高天神城はそういった意味で、遠江支配の要として武田氏と徳川氏が奪い合い、今も語り継がれる高天神城の戦いという戦国記が残っているのです。

実際に高天神城跡に足を運んでみると、山の高さは海抜132メートル、周囲との高低差は100メートル程度とそれほど大きな山ではなく、城郭全体の面積もそれほど多くないのですが、山自体が急斜面かつ効果的な曲輪の配置が施されたことで、守りに長けた城だという事が分かります。石垣はなく多くの土塁が曲輪の周囲を取り囲み、掘割も設けられていて、非常に実践的で戦国時代ならではの城ということが城オタクじゃなくても感じられました。

 本丸跡には、戦時中に造られ、その後落雷によって喪失した模擬天守の土台が残っていて、西南戦争・日清戦争等に出征した記念碑や城主の小笠原与八郎長忠と奥方の顔出しパネルなどが置かれています。

見晴らしの良い本丸跡から浜松方面を眺めていると松尾芭蕉が奥の細道の旅の途中、平泉で詠んだ句が脳裏に浮かんできました~夏草や兵どもが夢の跡~そして西の方角のかなたに思いを馳せると平家物語の冒頭の句~祇園精舎の鐘の声、諸行無常の響きあり~と何処からともなく聴こえてきたのでした。

 本丸跡は、夏草が生い茂り、只々山頂に涼しい風が吹いているだけで、当時の繫栄した面影は何処を探しても見つかりはしませんでした。夏の暑い盛りに、乱世を象徴する舞台だった地に身を置いて感じたことは、無常という儚さ以外の何物でもありません。

 今回の素敵なシーンは、命の尊さにあらためて気付かされた、移ろいでいく古城からの風景です。

高天神城跡・御前曲輪からの眺望
参道入口には、高天神社の立派な鳥居が再建されています。
鳥居を超えて、搦手門跡から整備された登山道を登る
一説には篭城側のお姫様が身を投げて自害したと言われるかな井戸
西の丸跡、高天神社の社
馬場平跡にある方角の案内版
取材時8月初旬は蝉の声が響き渡っていました
麓の土方村から西南戦争・日清戦争に出征した記念碑がいくつもあります
御前曲輪跡にはイマイチそぐわない顔出しパネル
高天神城の全景が書かれた想像図