今、改めて考える国を守るという事・国防について考えさせられた世界遺産、韮山反射炉~素敵なシーンウォッチング88
幕末の始まりとされる嘉永6年(1853年)の黒船来航がきっかけとなり、海防政策の一つとして鉄砲・大砲を鋳造するために必要な反射炉の建設を建議。その結果、江戸幕府直営の反射炉として築造が決定されたという歴史的建造物、韮山反射炉が今回の素敵なシーンです。
本を正せば、韮山反射炉は天保11年(1840年)のアヘン戦争で列強諸国に圧倒的な軍事力をつきつけられた清(中国)を見て、危機感を覚えた韮山代官江川英龍が海防政策の一つとして建設を計画し、後を継いだ息子の江川英敏が完成させました。
反射炉とは、燃焼室で発生した熱を天井や壁で反射させ、熱を集中させ鉄の溶解を行なう施設で、金属を溶かし大砲などを鋳造するための溶解炉です。この韮山反射炉は、実際に稼働した反射炉として国内で唯一現存するものなのです。
韮山反射炉は、連双2基4炉を備える反射炉で、設計はヒュゲェニン著「ロイク王立鉄製大砲鋳造所における鋳造法」という蘭書をもとに造られ、炉体は外側が伊豆石(緑色凝灰岩質石材)の組積造、内部が耐火煉瓦(伊豆天城山産出の土で焼かれた)のアーチ積となっています。煙突も耐火煉瓦の組積で、約16メートルで4階建てのビルくらいの大きさです。江戸時代の記録によると、築造当時、煙突部分の表面は漆喰で仕上げられていて、外気温との温度差にも耐える設計となっていたそうです。
さて、いつになく小難しい説明が続きましたが、ここでの説明よりもこの建物を深く理解できる施設‟韮山反射炉ガイダンスセンター”が2016年に完成していますので、是非見学してほしいと思います。施設内は、最新の研究をもとに反射炉の稼働の様子などをまとめた映像が流れる映像ホールと3つの展示コーナーがあり、展示コーナーには解説パネルのほか、耐火れんが、砲弾などの出土遺物、古文書が複数展示されています。取材日はよく晴れた晩秋の遠足日和で、小学生の社会見学を始め、幅広い年齢層の見学者が訪れていました。
この韮山反射炉は、2015年の第39回世界遺産委員会でユネスコの世界遺産リストに登録された日本の世界遺産の一つであり、山口・福岡・佐賀・長崎・熊本・鹿児島・岩手・静岡の8県に点在する‟明治日本の産業革命遺産 製鉄・製鋼、造船、石炭産業”を構成する一つとして登録されています。西洋から非西洋世界への技術移転と日本の伝統文化を融合させ、1850年代から1910年(幕末~明治時代)までに急速な発展をとげた炭鉱、鉄鋼業、造船業に関する文化遺産であり、稼働遺産を含む世界遺産登録は日本では初めてとなりました。
世界地図を見ると島国日本の存在はちっぽけなものです。しかし、当時の日本人はなんとかして世界の覇権主義の潮流に飲み込まれないようにしようと、当時、国を守る役目を司ったサムライたちが外国の書物を紐解き、韮山反射炉を完成させたのです。その歴史を踏まえて感じたことは、英知の結晶としてここで造られた鉄製大砲こそが、工業立国日本の原点なのだということです。
そして取材時に何よりもインパクトあった出来事は、見学に来ていた小学生がこの施設について言ったひと言「昔の日本の人ってすごいんだね!」です。この言葉を聴いた瞬間、この韮山反射炉の存在意義が鮮明に浮かび上がったのでした。
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