遠州七不思議に見る太古からのメッセージ 素敵なシーンウォッチング FILE32

昭和の中期までの日本は、現代の様な夜でも明るい街はなく、薄暗くて都会でも星が鮮明に見えていたそんな時代でした。もちろん、インターネットなど影も形もなく、雑誌やテレビでお化けや怪獣、また怪奇現象や宇宙人の類まで根拠のないままに情報が垂れ流されていました。それらの情報は子供だましで、大人はもちろん、子供にでもわかるような特撮のピアノ線が見えた世界でした。ですから当時の大人は「どうせテレビの世界だから」と今も変わり映えしませんが、然して信用たるメディアではないと受け止められていたのです。

しかし、そんなインチキで眉唾な記事や番組の中でも、伝説、迷信や言伝えといった実際にその地域で今でも残る、科学では説明できない出来事や不思議な現象を特集した番組は、怪獣や宇宙人より底知れぬ怖さを感じる、子供心に世の中には実際に闇が存在していることを教えてくれるものでした。この闇の世界を、子供にもわかるようにポップに描いた身近な漫画が「ゲゲゲの鬼太郎」でした。その主人公は、その闇の世界の案内人‟妖怪“です。

妖怪とは、「日本で伝承される民間信仰において、人間の理解を超える奇怪で異常な現象や、あるいはそれらを起こす、不可思議な力を持つ非日常的・非科学的な存在のことで、日本古来のアニミズムや八百万の神の思想と人間の日常生活や自然界の摂理にも深く根ざしているもの」と記されています。今考えると何が恐怖心を煽っていたのか?それは、妖怪が人の心の中にあるもの、もしくは人が変異したものなのかもしれないからではないかと想像したからなのかもしれません。

話がそれ過ぎてしまいましたが、今回取材で訪れたのは旧東海道の金谷宿と日坂宿の間の急峻な坂のつづく難所、小夜の中山峠にある夜泣き石です。江戸時代後期の読本作者、曲亭馬琴の「石言遺響」(文化2年)によれば、その昔、お石という身重の女が小夜の中山に住んでいました。ある日お石がふもとの菊川の里で仕事をして帰る途中、中山の丸石の松の根元で陣痛に見舞われ苦しんでいたところを通りがかった轟業右衛門という男に金を奪われ斬り殺されます。その時お石の傷口から子供が生まれ、そばにあった丸石にお石の霊が乗り移って夜毎に泣いたため、近くにある久延寺の和尚が発見し音八と名付けられて飴で育てられました。音八は成長すると大和の国の刀研師の弟子となり、すぐに評判の刀研師となったそうです。そんなある日、音八は客の持ってきた刀を見て「いい刀だが、刃こぼれしているのが実に残念だ」というと、客は「去る十数年前、小夜の中山の丸石の附近で妊婦を切り捨てた時に石にあたったのだ」と言ったため、音八はこの客が母の仇と知り、名乗りをあげて恨みを晴らしたと言います。その後、この話を聞き同情した弘法大師が、石に仏号をきざんでいったという、その物語の舞台が久延寺です。

夜泣き石の話は石にまつわる伝説の一つで、日本各地に様々な夜泣き石が存在します。その大半が怪談めいた話です。ではなぜ人々はなぜこの会談めいた伝説を後世に残したのでしょうか?一言で言えば、因果応報、すなわち人はよい行いをすればよい報いがあり、悪い行いをすれば悪い報いがあり、行為の善悪に応じてその報いがあることだという教えなのでしょう。
今回の素敵なシーンは、妖(あやかし)物の怪(もののけ)、魔物(まもの)とも呼ばれるものを人が創造し、その妖怪たちの存在を戒めとし、次の時代を背負う子供たちに良い生き方をして明るい未来を育んでほしいという願いの賜物として語り継がれた伝説の成り立ちです。

東海道五十三次でも題材にされるほど有名な「夜泣き石
小夜の中山 久延寺
久延寺は旧東海道沿いにひっそりと佇んている
歴史の長いこの寺の境内は市の文化財に指定されている
茶室があったとされる場所には彼岸花が揺れていた
境内では夜泣き石伝説にちなみ石を祀っている
所縁のあるとされる弘法大師が石の上に立っている
国道1号線の小夜の中山トンネル前にも夜泣き石がある。 ちなみに夜泣き石の物語に登場する子育て飴は近くの土産物屋 小泉屋で手に入れられる。
階段を上ると夜泣き石がひっそりと安置されていた。
ロケの様子はこちらをチェック

前の記事

DESSERT MUSIC #31

次の記事

DESSERT MUSIC #32