殿下の遺志を継いで生まれ変わり続ける秩父宮記念公園~素敵なシーンウォッチング128
子供から大人まで誰もが大好きな公園。物心ついた頃から近所の公園で、ブランコ、シーソー、鉄棒など色々な遊具で夢中になって遊びました。また花畑や植木たちが季節の到来を教えてくれたり、ビルがそびえる都会ではお昼休みのひと時のオアシスとして、公園は空気の様な存在で私たちには欠かせないものになっています。
日本にはたくさんの公園がありますが、ただ公園と言っても街角の小さなものからイベント後に造られる記念公園など、規模や成り立ち、用途も様々です。そんなたくさんある公園の中から今回、素敵なシーンウォッチャーズが選んだのが、御殿場市にある秩父宮記念公園です。
公園名の秩父宮とは、秩父宮雍仁親王(ちちぶのみややすひとしんのう、明治35年6月25日-昭和28年1月4日)は、登山、スキー、ボートなど様々なスポーツを愛され(イギリス留学時代はマッターホルンに登頂されています)、社会活動としてスキー、ラグビー等スポーツに尽くし‟スポーツの宮様”として広く国民に親しまれ、秩父宮ラグビー場、秩父宮記念スポーツ博物館にその宮号を遺しておられる日本の皇族です。
この公園は、昭和16年に宮家が購入して、秩父宮同妃両陛下が戦中戦後、秩父宮御殿場御別邸とされ約10年間を過ごされました。その後、故秩父宮雍仁親王妃勢津子殿下(こやすひとしんのうひせつこでんか)のご遺言により、妃殿下のご遺志に沿った形で整備し、記念公園として平成15年4月に開園した公園が秩父宮記念公園なのです。公園の特長としては幅広く秩父宮同妃両殿下の歴史を振り返れる資料が豊富で、園内は四季折々の草花と自然とのふれあいが楽しめる点も訪れた人々に好評となっています。また公園周辺は、桜の名所として知られています。
さて、シーンウォッチャーズが取材の重要ポイントと決めていた、両殿下が実際にお住まいになられていた茅葺屋根の母屋ですが、遠く離れた場所からの見学になっていました。御殿場市の文化拠点(指定文化財)にもなっているこの母屋は、御殿場市の農家から移築された茅葺屋根で、1723年築ということもあり近年劣化が著しいことから、ふるさと納税制度によるクラウドファンディングで寄附を募り、修復作業中だったのです。とても残念だったのですが…改めてHPを閲覧すると、茅葺屋根の母屋の修復過程や修復スケジュールなどがあり、またこの公園の存在の意義についても詳しく書かれていました。以下HPからの要約・抜粋です。
「秩父宮御別邸の庭園一帯は農場として利用され、戦中から戦後にかけて食糧難の折、畑を耕し芋やカボチャなどを栽培し、勢津子妃殿下は殿下のご介護の傍ら、ご自身も鍬を握られていました。殿下も近在の農家の方たちと共に畑仕事をされていたそうです。
殿下はかつてのご留学先イギリスでご覧になったカントリーライフを理想とし、自給自足の生活を秩父宮御別邸にも取り入れられ、サツマイモや小麦なども供出されていました。
また家畜の飼育にも励まれ、羊毛生産の研究などもされ、緬羊(めんよう)の毛織物や家畜の乳しぼりまで習得されました。秩父宮同妃両殿下は農業の実践や振興に励まれ、周囲から秩父宮御別邸は‟宮様の農事試験場”とも呼ばれていたそうです。
このような歴史を基に実践と研究、自給自足の概念から命を育み繋ぎ活かす‟生命循環”の歴史を踏まえ、現在に活かしていく‟温故知新”を庭園のコンセプトとし、少しずつ変わっていく過程をご覧いただきたいと思います。生まれ変わる秩父宮記念公園にご期待ください」と綴られていました。
そういえば取材時、花壇や果樹園、また公園のあちこちで整備されている人たちがたくさんいらっしゃったことに後になって気が付きました。ですからこの秩父宮記念公園は、現状を保つことを基本にしたそんじょそこらの公園とは違い、進化し続ける由緒正しき謂われのある公園なのです。
因みに、日本にある公園の総数は108,529箇所となります。そして全国都道府県別の都市公園数が多いランキング一覧表(2020年度)では静岡県は2587公園があり13位にランキング。1位は東京都で8292、2位が北海道7657、3位は神奈川県7629、以下千葉県、大阪府、福岡県、兵庫県となっています。
81年前の昭和16年から現在まで、時代の遍歴を見続けてきた秩父宮記念公園。敷地面積1万8千坪と東京ドームの1.5倍くらいの大きさで、都市公園としては中規模サイズの公園ですが、園内を探索すると日本の歴史が刻まれた様々な表情が色濃く浮かんできます。そしてこの公園が発する飾らない佇まいの中に身を置くと、時の流れが緩やかになり四季折々の草花や木々たちが静かに語り掛けてくるのです。
今回の素敵なシーンは、殿下の遺志を継いで生まれ変わり続けるリボーンな公園、‟秩父宮記念公園”その存在なのです。